しぼりたてチャイナ

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こんなに違う!「中国人」の多様さ Vol 4 地球上最大の民族、漢民族とは?

こんにちは!

中国にいると食欲がなくなるということが全くありません。毎日うまいもの食っています。

 

今回は中国の人口の大部分を占める、漢民族についてまとめてみました。

 

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人口

最新の国勢調査(人口普查)によると、

2010年の「中国国内」の漢族の総人口は 12億2593万2641人で、中国の人口の 91.51%を占めています。

 

Wikipedia漢民族」の項目では、CIAが公表しているデータを参考にしているようでして、中国(大陸)の漢族の人口を 13億4958万5838人としています。これが何年にとったデータのかわからなかったのですが、中国国内の国勢調査よりも人口が多いので、2010年以降の数字なのかと思われます。

 

そして、中国国内に限らず、地球上の漢民族をすべて合わせると、14億5351万6512人Wikipedia)となり、全人類の20%を占める世界最大の民族集団となっているそうです。

 

「地球上の漢民族すべて」とはどういうことかというと、中国以外にも、世界各地にはものすごい数の華僑が暮らしているからです。

 

漢民族とはなんぞや 

以前にも書きましたが、司馬遼太郎は著書、『街道をゆく』シリーズで何度か中国を訪れていて、行く先々で魅力的な歴史妄想を展開されています。

 

その『街道をゆく 中国・蜀と雲南のみち』の冒頭部分で、司馬さんは中国についてこんな例えを使って中華文明を形容しています。

 

 鍬(くわ)や鋤(すき)などの鉄板のふちに赤みそや白みそで壁をきずき、その中央に肉やねぎを置く。煮えるにつれて赤白のみその壁がだんだん溶け、中身がほどよい味になってゆく。

 中国文明という普遍性の高い文明が成立してゆく事情というのは、右のような料理法(?)に似ているのではないかといつも思っている。

 極端にいえば、もともと漢民族というものは存在しなかった。

 

漢民族というものは存在しなかった?

 

そうかもしれないのです。

 

紀元前18世紀に殷王朝を起こしたのは青銅器の製作に長けたどこかの民族であり、

その殷王朝を滅ぼした周王朝は、現在の陝西省西部の黄土高原からはるばる中原に移動してきた別の民族が興した王朝であり、

その周王朝を倒して初めて中国統一を果たす秦王朝も、周王朝よりも数百年もあとから、同じくはるかな黄土高原から陝西省に降りてきた別の民族だった可能性があるのです。

 

さらに言うと、秦王朝が滅びたあとに漢王朝を興した劉邦も、当時の中国世界の中心から少し離れた、文化の異なる南方の民族(楚)の出身でした。

 

さらにさらに、われわれの生活と切っても切り離せない稲作を発明した民族も、雲南省の山岳少数民族であるとか、浙江省のあたりに当時暮らしていた古代タイ族(これがポリネシア語族の祖先だったという説もある)が中国にもたらしたとも言われています。

 

こういった、中国周辺の異民族が文化を持ち込んできて同化していく例が、そのあと何百年にもわたっていくつも続いていくのです。

 

乗馬の技術というのも、北方の草原地帯からやってきた遊牧民族が中国に伝えた技術です。

 

唐の王朝を興して一世を風靡した李さんの家系にいたっては、鮮卑族という遊牧民族出身なのでした。

 

つまり、司馬さんの見かたを合わせてまとめてみるとこうなります。

 

昔々あるところに、農業に適した比較的大きな平原がありました。その周辺にいた民族はここに目をつけて、時代の変遷と共に次々と平原になだれ込んで来ることになります。その民族はときには敵となり、ときには味方となり、ときには平原の統治者となって中国を統治しました。それらの民族がいつの間にかお互いに溶け合い、混じり合って、役に立つ文明を取り入れあって、ひとつの文明、ひとつの文化圏、ひとつの同質体を形成した。それが漢民族ではないかというのです。

 

純血の「漢民族」という民族が最初から存在していたわけではなかった、という考え方です。

  

それでは漢民族とはなんなのでしょうか。

 

そもそも民族とは何かという問題が非常に難しいのです。

民族とは共通の文化を持った集団でしょうか。それとも共通の言語を持った集団でしょうか。それとも自分たちは何族である、というアイデンティティーがあれば、それで民族が分類できるのでしょうか。

漢民族とは何か、をはっきりさせるのはとても難しいのですが、ざっくりいうと、漢の文化を受け入れて、漢の文化に参加している民族のことを漢民族と呼ぶのではないかと思います。

  

「漢」とはなんぞや

ついでにこの「漢」という漢字について、少しうんちくをご紹介。

 

「漢字」という字を表す言葉に、どうして水を表す「さんずい」がついてるの?と疑問に思ったことのある方はいませんか?

 

この「漢」という字はどこから来たのでしょうか?

 

紀元前202年に劉邦が興した王朝を「漢王朝」と言いますね。

 

「漢」とは実はもともとは川の名前でした。長江の支流に、「漢江」という信濃川の4倍くらいある川がありますが、この河の名前が昔は「漢」だったのです。(このように、さんずいの漢字にはもともとはある川の名前を表すためだけに作られた漢字が数多く存在します)

 

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「漢」-秦の時代の小篆体

みなさんは項羽と劉邦の物語について聞いたことはありますか?(私は高校の漢文で習ったような気がするけれど、ほとんど記憶に残っていません。中国に来てからようやくちゃんと知りました)

 

実は劉邦さんは漢王朝を起こして中国を統一する直前まで、この漢江の付近で王さまをやっていたのです。その後しばらくして中国を統一したので、その王朝をそのまま「漢王朝」と呼んだのです。

 

そして王朝の名前が、そのままやがて中国自体のことも指すようになってきたんですね。

 

「漢字」という呼び名もそういうことです。中国語でも、漢字のことは「漢字」と呼びます。(じっさい、漢の時代を経てからのちに、漢字はようやく現代の漢字らしい形になってくるのです)

 

「漢」で「オトコ」、という言い方も、もともとは漢の時代の男子を指す言葉からきているそうです。(参考『漢語大字典』)

 

 

*ちなみに中国で歴史を勉強していると、「華夏(ホァシャ Huaxia)民族」という呼び方がよく出現します。これは黄帝炎帝など、伝説上の人物を漢族の起源とみなした時の、大きな民族を指しているみたいです。なので「華夏文明」というときには、太古の昔から連綿と受け継がれてきた中華文明、といった意味合いがあるのでしょうか。少しややこしいので、中国のネット上でも「華夏民族」と「漢民族」ってどう違うの?といった質問がよく見られます。